ヴァーラーナスィー選挙区に注目

年は世界最大の民主主義国が下院の総選挙を行う年だ。広大な国土と多大な人口を抱えるインドでは、選挙を1日で行うことは不可能である。4月7日から5月12日まで9回に渡って各選挙区で投票が行われ、5月16日に開票の予定である。既に第1期投票日まで1ヶ月を切っており、インドでは選挙ムードが高まっている。現与党の国民会議派が議席数を大幅に減らす一方、インド人民党(BJP)が首相候補ナレーンドラ・モーディーの人気を背景に勝利することは既定路線だと思われる。昨年12月のデリー州議会選挙で躍進した庶民党(AAP)が不確定要素として存在するが、政権運営力の弱さが露呈したため、デリー州議会選挙ほどキャスティングボートを握ることはないだろう。

 ナレーンドラ・モーディーは2001年から4期に渡ってグジャラート州首相を務めているが、国会議員や中央政府大臣にはなったことがなく、国政手腕は未知数である。2002年のゴードラー事件に伴うグジャラート暴動が彼のキャリアに暗い影を落としているが、それ以降グジャラート州でコミュナル暴動は起こっていないのも確かだ。モーディー州首相の任期中、グジャラート州はインドで最も著しい発展を遂げており、その成長モデルをインド全土に適用するというのが、彼の首相立候補の大義名分となっている。有権者の多くは国民会議派にもBJPにも愛想を尽かしているところがあり、その失望感が最近のデリー州議会選挙でAAP躍進の原動力となったと思われるが、モーディーだけは特別で、彼の個人的な人気が今回はBJPを勝利に導くと考えられている。これは決して誇張ではないと感じる。僕が2012年に北インドをバイクで旅行したときに行く先々の地元民と政治談義をしてみたが、非教養層を中心に、支持政党関係なく今回はモーディーを支持すると答える人が圧倒的に多かった。モーディーの人気は、実際の彼の実力以上に膨れ上がっている。

 ナレーンドラ・モーディーは、安全牌であるグジャラート州ヴァドーダラー選挙区に加えて、ウッタル・プラデーシュ州ヴァーラーナスィー選挙区からも立候補する。なぜヴァーラーナスィーを選んだのか、その背景を調べてみるとなかなか面白い事実が浮かび上がって来た。

 まず、ヴァーラーナスィーはヒンドゥー教の一大聖地であり、ヒンドゥー教至上主義者のイメージと共に語られることの多いモーディーと相性のいい場所になり得るという算段があることは確実であろう。ヒンドゥー教徒たちの精神的首都であるヴァーラーナスィー選挙区から選出された下院議員がインドの首相となることは、権力の正統性をより強く演出する。

 次に、ヴァーラーナスィーはBJPが過去にほとんど落としたことがない選挙区であることも当然重要である。バーブリー・マスジド破壊事件があった1991年以来、BJPはヴァーラーナスィー選挙区で勝利し続けている。唯一、2004年の下院総選挙では国民会議派のラージェーシュ・クマール・ミシュラーが当選している。また、州議会選挙ではヴァーラーナスィーには5つの選挙区があるが、その内の3議席はBJPである。

 このように、ヴァーラーナスィー選挙区はBJPが勝利する確率の非常に高い場所で、ヴァドーダラー選挙区と共に、モーディーの勝利が見込まれている。AAPのアルヴィンド・ケージュリーワールがヴァーラーナスィー選挙区から立候補するとの話もあるが、デリー州議会選挙でシーラー・ディークシト前州首相を破った彼にとっても、モーディーを負かすのは困難であろう。

 ただ、興味深いことに、ヴァーラーナスィーはモーディーにとって「第二の故郷」と呼べるほど縁のある地域であるらしい。モーディーの出身地はグジャラート州ヴァードナガルであるが、実はムガル朝時代にヴァードナガルの住民がムガル帝国に仕える兵士としてヴァーラーナスィーに大挙して移住したことがあった。現在でも彼らはヴァードナガルとの関係を保ち続けている。例えばヴァードナガルで信仰されているハトケーシュワル神の名前が、今でも結婚式の招待状などに記載される習わしとなっていると言う。

 ヴァーラーナスィーの特産品として絹サーリーがある。ヴァーラーナスィーのサーリーはインドで最高の品質と考えられており、ガンジス河近くの路地にはサーリー屋が密集している。実は、ヴァーラーナスィーでサーリーの商売に関わっているのもグジャラート人とのことである。グジャラート人はヴァーラーナスィーの経済に多大な貢献をしているのだ。現在ヴァーラーナスィーには1万戸のグジャラーティー家族が住んでおり、有権者数にすると2万5千人ほどになると言う。ヴァーラーナスィー選挙区の有権者層数は160万人なので、それと比べると微々たるものではあるが、当然モーディーの強力な票田となり得る。なぜモーディーがヴァーラーナスィー選挙区を選んだのか、このような背景を知るとよく見えて来る。

 ついでにヴァーラーナスィーの各コミュニティーの有権者数を見てみよう。実は最大勢力はイスラーム教徒で30万人強。その次にパテール(農民)で20万人強。そしてブラーフマンが20万人、ヴァイシャ(商人)が20万人と続き、ヤーダヴ(酪農)が10万人、ダリト(不可触民)が10万人となっている。その他、OBC(その他の後進階級)が20万人などとなっている。もし有力なイスラーム教徒立候補者が出ない場合、ケージュリーワールがイスラーム教徒票のほとんどを獲得する可能性がある。だが、それでもパテール、ブラーフマン、ヴァイシャなどから強い支持を受けているモーディーを打ち負かすのは困難と言わざるを得ない。

 今回の総選挙はヴァーラーナスィー選挙区が最も面白い。今後も注視して行きたい。

2014年3月29日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : arukakat

JNUの学位証明書原本

2014年3月1日から9日までインドを訪れたのだが、その主な目的は母校ジャワーハルラール・ネルー大学(JNU)から博士号学位証明書原本を受け取るためであった。

JNU

 他の大学がどのようになっているのか知らないのだが、JNUでは、論文を提出し、Viva Voce(口頭試問)が完了してから、1年後に証明書が発行されることになっている。それまでは、申請すればProvisional Certificate(仮証明書)がもらえるため、それが学位証明書の代わりとなる。僕のViva Voceは2013年1月29日に行われ、2014年2月に友人に確認してもらった時点で既に発行されていたため、一番気候のいい3月上旬でのインド行きを決めた。

 誰かの参考になるかもしれないので、学位証明書原本(以下、オリジナル・デグリー)を受け取るまでの手順をここに記しておこうと思う。例によっていくつか落とし穴がある。

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1年振りのインドとICCRデー

2014年3月1日から9日まで、インドを旅行して来た。僕が11年7ヶ月に渡るインド留学生活を終えて日本に完全帰国したのが2013年2月28日だったので、ちょうど1年振りにインドの土を踏んだことになる。

 1年前は、インドに住み始めて初めてインドを完全に去ることになり、長いインド生活の中で経験しなかったことにいろいろと直面することになった。特に、去り行く友人・知人に対してのインド人たちの熱い感情というのは、インドに定住している間はほとんど体験できなかったもので、本当にインド人というのは情に厚く情に脆い人々だと感じたものだった。愛する土地を去るというのは誰にとっても悲しいもので、一番悲しいのも去る本人だと思うのだが、見送る人々が度を越して悲しんでくれることで、こちらがなぜか逆に慰め役になり、そのドサクサの中で別れが過ぎてしまうという効果があることを知った。

 今回は言わば、インドに長らく住んでから本国に帰国し、再度インドを訪れるとどうなるかを初めて体験する旅であった。

Hauz Khas Village

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2014年3月15日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : arukakat

ワールド・ヒンディー・デー2014

2月14日、東京が前週に引き続き大雪に見舞われる中、インド大使館でワールド・ヒンディー・デー式典が開催された。スピーカーとして招待されたので、大雪による交通遮断の懸念がある中、東京まで出向いた。

 ワールド・ヒンディー・デーはその名の通り、ヒンディー語が主役の日である。ワールド・ヒンディー・デーと一口に言っても実は2つあり、ひとつは9月14日。1949年にヒンディー語がインドの連邦公用語となったことを祝う日である。もうひとつは1月10日。1975年にマハーラーシュトラ州ナーグプルで初の世界ヒンディー会議が開催されたことを祝う日である。

 では、なぜヴァレンタイン・デーの2月14日にワールド・ヒンディー・デーが祝われたのか?どうも、1月は安倍首相の訪印などがあってインド大使館が忙しかったらしく、開催ができなかったらしい。しかも、今まで日本のインド大使館はワールド・ヒンディー・デーを祝っていなかった。本国から必ず開催をするようにとのお達しが来たようで、変な時期にワールド・ヒンディー・デーが開催されることとなったようである。

World Hindi Day 2014

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2014年2月18日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : arukakat

【資料】ヒンディー語映画の10年

年のインド共和国記念日(1月26日)には日本の安倍晋三首相が主賓として出席し、日印関係史上においては、昨年末の天皇皇后両陛下インド訪問に続き、歴史的な日となった。そして僕にとっても、個人的に大きな日となった。昨年のちょうど同じ頃から各地でヒンディー語映画について講演を行って来たのだが、その集大成となるものを渋谷アップリンクで行うことができたのである。70名ほど収容可能な会場が満席になるくらい盛況で、休憩を挟みつつ3時間丸々、話したいことを自由に話させてもらった。とても幸せな時間であった。これを企画してくれたサラーム海上さんと村山和之先生にはとても感謝している。また、会場となったアップリンクには初めて行ったが、映画好きのオアシスのような雰囲気でとても気に入った。そういう場でヒンディー語映画について話ができたことも光栄であった。

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【告知】ヒンディー語映画の10年

ンドを去ることになった昨年2月前後から、デリー、京都、豊橋、東京などで、ヒンディー語映画について講演をする機会を何度かいただいた。聴衆層によって内容は異なるが、ヒンディー語映画にある程度なじみ深い人たち向けの講演では、21世紀に入ってヒンディー語映画がどんな理由からどんな変化を遂げて来たか、について話をさせていただいた。

 おそらくその一連の講演の最後となるものを1月26日に東京渋谷アップリンクで行う。さすがにインドを去って1年が経過しようとしているので、もうヒンディー語映画の最新情報について偉そうに語る資格はなくなるだろう。現に、昨年話題となった映画の多くをまだ鑑賞していない。その内の多くは、何とかDVDは入手したが、日本にいるとヒンディー語映画を見る時間が取りにくくなるもので、なかなか見る機会に恵まれていない。インドに住んでいた頃は、新作を封切り日に見ることが常だったのだが、それと比べるとかなりの堕落ぶりである。ただ、地道に消化して、ちょっとしたレビューもこのブログにアップして行きたい。

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2014年1月18日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : arukakat

パーキスターン人の中古車市場支配とAPU

2013年12月末に九州に家族で旅行をして来た。

 インドに住んでいるときは暇があれば旅行をしていたものだが、日本に帰って来てからは、仕事での出張を除けば、とんと出不精になってしまった。小さな子供を連れての旅行が、今のところ子供が成長するに従ってより大きな負担になって来ていることと、日本での旅行のコツが未だに掴めていないことが要因であろう。

 しかし、今回は勇気を出して九州まで足を伸ばしてみた。土壇場で旅行を決めたので、新幹線のグリーン車を使わなければならなかったり、名古屋に前泊しなければならなかったりと、いろいろ不都合があったのだが、何とか旅行をすることができた。

 案の定、1人で、または大人と旅行をしているときとは違って、いろいろなトラブルに見舞われるものだ。初日に上の子供(3歳)が靴を片方どこかに落としてしまうというハプニングがあり、旅行先で子供用の靴を捜さなければならないという、多少難易度の高いタスクが余分に生じたりした。2013年2月のアンダマン旅行でも、普段はしないようなイージー・ミスをしていたので、つくづく子連れの旅は全く別物だと実感させられた。

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2013年12月31日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : arukakat

テヘルカー問題とフェミニズムへの打撃

11月下旬から12月上旬にかけて、インドではいくつか重要な事件があった。もっとも重要な事件は、デリー、ラージャスターン州、マディヤ・プラデーシュ州、チャッティースガル州、ミゾラム州でほぼ同時に行われた州議会選挙であろう。ミゾラム州を除く4州で国民会議派が惨敗し、インド人民党(BJP)が圧倒的勝利を収めた。来年3-4月に下院総選挙が予定されており、今回の5州同時選挙はその前哨戦と見られていただけに、この州議会選挙での国民会議派の敗北はそのまま中央政府の政権交代を予兆している。現在グジャラート州の州首相を務めており、BJP首相候補となっているナレーンドラ・モーディーがインドの新首相になる可能性が高まった。モーディー州首相は、2002年のグジャラート暴動でイスラーム教徒に対する暴力を扇動したとされる曰くつきの人物であるが、近年のグジャラート州の高度成長を主導して来た敏腕政治家でもあり、民衆からの人気も高い。米国などはモーディー州首相を危険視してヴィザ発給を規制しているが、日本は早くからモーディー州首相との友好関係を築いて来ており、もし彼が首相になった暁には、日本または日本企業が格別優遇されることが期待される。

 また、デリーでは、2011年の汚職撲滅運動から派生した庶民党(AAP)が州議会第二党に躍進し、インドの政治において新たな動きが見られることも注目に値する。1990年代のいわゆる「マンダル」以降――つまり、その他の後進階級(OBC)が留保制度の対象となって以降――インドの政界では宗教やカーストなどのコミュニティーをベースとした票田政治が横行して来た。多くの政党は、特定のコミュニティーを票田に持ち、その利権の拡大を主張することで、党の存在意義を維持しながら選挙を戦って来た。だが、AAPは、特定のコミュニティーに依存しない、全く異なるタイプの政党である。都市在住中産階級を中心に、宗教やカーストを越えた、様々な階層・コミュニティーを支持層として持っており、特に若者からの圧倒的な支持を受けて、デリー州議会に旋風を巻き起こした。AAPのアルヴィンド・ケージュリーワール党首は、デリーを15年間牛耳って来たシーラー・ディークシトを、彼女の牙城ニューデリー選挙区で大差で打ち負かすという大金星まで上げた。しかしながら、AAPの躍進の影響でデリー州議会はどの政党も過半数の議席を持たない「ハング」状態となっており、安定性を失った。また、まだAAPの政権運営能力は未知数であり、同党の正当な評価は今後の動向を待たなければならないだろう。

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2013年12月16日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : arukakat

かぐや姫の思い出

年に渡って僕の勉学・研究・生活の場となっていたジャワーハルラール・ネルー大学(JNU)の数ある特徴のひとつは言語教育であり、言語文学文化学部(School of Language, Literature and Culture Studies)では、インドの言語を含む、世界各国の言語とその文学を学ぶことができる。ちゃんと日本語学科(Centre for Japanese Studies)も存在する。日本語教育においては間違いなくインドのトップであり、日本語を上手に使いこなし仕事をしているインド人の多くはJNU卒である。

 JNUの日本語学科では毎年、日本をテーマにした「文化祭」が行われている。デリーで日本語を学ぶインド人学生たちによる日本語劇、生け花や折り紙のワークショップ、日本文化に関する展示、日本食が食べられる屋台など、盛況である。

 ただ、多くの学生は、日本語を学んでいると言っても、日本と直接接点がなかった人たちばかりであり、彼ら自身で「文化祭」を企画・運営するのは難しい。そこで、JNUに留学している日本人学生が何らかの形で支援をするのが常である。そもそも「文化祭」第1回の成功は、当時JNUに留学していた日本人留学生たちの尽力に依るところが大きく、それがその後恒例のイベントとなる上で決定的な原動力となった。

 僕もJNU在学中、「文化祭」に手助けをして来た日本人である。毎年様々な役割を任されたが、今でも強く印象に残っているのは、「かぐや姫」の舞台劇を指導したときのことだ。

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2013年12月5日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : arukakat